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rhのブログ

日々思ったことについて、書くかもしれない

ブログを書く時はワンテーマでなければならない問題

 ブログを書く時には、テーマをひとつに絞らなければならない。これは鉄則である。

 いや、もちろんそんなルールがあるわけじゃない。複数テーマで書いたからといって、ブログ界の神の逆鱗に触れてしまい、地は裂け海は割れ、鳥は鳴き花は咲き、養老孟司が新作「壁の壁」を書いてノーベル文学賞受賞、なんてことにはならない。私は何を言っているのだろう。

 より正確に言うならば、複数のテーマでブログ記事を書くと様々なデメリットがある、のである。

 まず、いろいろなテーマで記事を書くと、読んだ人が感想を言うのが難しくなるという問題。ひとつのテーマなら、コメントしたりSNSで拡散する時でも、ひとつの意見を書けば済むので、それだけ言及・拡散する敷居が下がるのである。

 さらに検索サイトへの最適化という観点から言っても、テーマが複数の記事はランクが上がりにくいハズだ。

 自分が検索する立場に立って考えてみればわかるが、例えば「涙を流さず玉ねぎを切る方法」を調べたいと思って検索した時、最初に出てくるサイトに「シマウマとカマドウマの見分け方」「ワンランク上の『よんどころない』の使い方」「涙を流さず玉ねぎを切る方法」「手羽先を使わずに手羽先の唐揚げを作る方法」といった複数のテーマがびっしりと書き込まれていたら、その中から目的情報を見つけ出すのは非常に困難だ。あとそのサイトを作ったやつはどうかしているので検索で病院を探したほうがいい。

 何を言いたかったのか自分でも一瞬わからなくなってしまったが、要するに、ユーザーフレンドリーならぬリーダーフレンドリーの観点から、ブログはワンテーマに絞ったほうがなにかとよろしいのではないか、ということを私は言いたい。

 もちろん、ワンテーマでなくても許される場合はある。例えば書いている人が有名人の場合、別に当たり障りのない内容であっても、興味のある人が勝手に読んでくれるので、テーマを絞る必要はない。

 もう一つ、そのブログ記事の内容がフィクション、つまり小説や詩やマンガなどの表現である場合。

 フィクションというのは、それ自体が始まりから終わりに向かって進行するものであるから、複数のテーマを扱うのに向いている。というよりも、単一のテーマのために奉仕するフィクションほどつまらないものはない。普通、進◯研ゼミのマンガを本棚に並べる人はいない。極一部のマニアならいるかもしれないが。

 そう考えると、フィクションてすげえな、と思うのだが、多分、フィクションを作るためにはなにかしらの、跳躍、が必要で、そこんところを越えられない、多分一生越えられない自分がちゃんとフィクションを作ることはできないんだろうな、という感じもする。わかんないけど。

スポーツサイクルは、良い。

 スポーツサイクルはいい。歩くよりも、走るよりも、ママチャリよりも、速く走れる。

 クロスバイクを買うなら実売り5万、ロードバイクを買うなら実売り10万以上は出したほうがいい。ネットで売っている安いやつでなく、実際に店に行って、サイズを確認して買ったほうがいい。自分は家族のお下がりのGiant Escapeに乗ってるけど。

www.giant.co.jp

 ライトとスピードメーターを買って取り付けるといい。っていうかライト無しで公道を走ったら法律に引っかかる。盗難防止のキーロックももちろん必須。

 長距離を走るなら手袋を。スピードを出すならヘルメットを買うといい。ほんとはスピードを出さなくてもヘルメットは被ったほうがいいんだけど、見た目がダサい。慣れるとそれがかっこよく見えるらしいけど、自分はまだその境地には達していない。

 サドルが小さいから最初は尻が痛くなるかもしれないが、我慢すれば2~3回で慣れる。ジーンズを履くのはあまりよくない。せめてチノパン。長ズボンを履くなら、右足の裾がギアに引っかかるのを防ぐためのベルトが売ってるから、それを巻け。ちなみに自分は一時期、野球用のストッキングベルトを巻いていた。

 スポーツサイクルに乗ると、もちろん行動範囲が広がる。しかし速く遠くに行くほど疲れる。当然のことかもしれないが、これからスポーツバイクに乗ろうという人ほど、そういう当然のことを見逃しがちだ。自転車はオートバイではないのだ。自分の力でペダルを漕がなければならない。

 あと、スポーツサイクルは荷物が積めない。よって買い物にも向いていない。それだったらママチャリに乗ったほうがいい。

 交通費を浮かせるためにスポーツサイクルに乗る、というのも、個人的にはやめたほうがいいと思う。スポーツサイクルはまずそれ自体が高価なものだし、メンテナンスにも地味に費用が掛かる。喉が乾くし腹も減る。電車やバスに乗ったほうが楽だし効率的だ。安くてメンテの手間が少ないママチャリに乗るという手もある。

 それでもやっぱりスポーツサイクルは楽しい。自分の力で、風を切って走る楽しさは、他では代えがたい。

 自分でパンクを修理したり、パーツをカスタマイズするのも楽しい。自分はトゥークリップという、時代遅れのパーツを使うことで、勝手に通ぶって悦に浸ったりしているが、それもまた楽しい。

 しかし事故には気を付けなければいけない。自分は以前、外苑周辺で他のロードバイクに後ろから追突され、リアディレーラー(後輪のギアを調節するパーツ)をぼっきり折られてしまったことがある。しかもそのロードバイク乗りには、修理中に逃げられた。よくよく考えたら単なる当て逃げであるが、後の祭り。修理費一万円強。怪我がないだけよかったが。

 それ以来、スピードを出すのはサイクリングロードだけにして、街中を走るときは、ママチャリに乗っているくらいのつもりでゆっくり走るようになった。

 と、悪いことも結構書いたが、なんだかんだ言って楽しいので、「運動をしたい」「趣味を探している」という人にはスポーツサイクルに乗ることを強くお勧めしたい。ツーリング仲間ができればもっと楽しいんじゃないかな。僕はいないけどね。

昔の自分は、面白い文章を書こうと躍起になっていた気がする

 昔の自分は、面白い文章を書こうと躍起になっていた気がする。

 最近は、なんかそういうサービス精神みたいなものが全然湧いてこない。枯れたのかな? そうかもしれない。

 自分が好きな、面白い文章を書く人みたいに、面白い文章を書こうとしていた。でも努力して面白い文章を書こうとするのは、苦しかった。しんどかった。

 今はもっと自然に文章をかけているだろうか? よくわからない。

 余計なものを取り去ってしまうと、書くべきことはあまり多くない。必要な、情報だけを、伝達すること。そしてふと思いついたどうでもいいアイデアを文章中に盛り込むこと。その程度で終わってしまう。

 それでもやっぱり文章を書くことは心地よくて、やめられない。

 もし自分が文章を書くのをやめる時が来るとしたら、それは、文章を書くことそのものがしんどくなった時、であろう。その時は意外と早く来るかもしれないな、なんて、縁起でもないことをふと思う。いや、引退宣言とかじゃないよ。ただ、ふと思っただけで。

なぜ僕はフィギュアスケートを見て素直に感動できないのか

 フィギュアスケートが好きではない。嫌いというわけでもないけど。

 テレビのニュースなどで、やたらとフィギュアスケートを取り上げる理由がよくわからない。もっと他に面白いスポーツがあるんじゃないかと思ってしまう。

 なぜ僕はフィギュアスケートをそんなに好きではないのだろうか? なぜフィギュアスケートを見て素直に感動することができないのか?

 よくよく考えてみた結果、それは僕が「フィギュアスケートは金持ちがやるスポーツだ」と思い込んでいるからに違いない、という結論に達した。

 金持ちが、自分の子どもに英才教育を施さなければ、トップ選手になれない。そんなスポーツ見たくねぇよ、と。

 

 そんなことを言うと、全国の羽生結弦ファンに袋叩きにされた上、全国の織田信成ファンに焼き討ちに会うかもしれない。

 いや、わかってる。わかってるよ。自分の言ってることが偏見に違いないってことは。

 でも、だからこそ、自分がいったいどのような偏見を持っているかを、一度ここでキチンと形にしておきたいと思う。そうすれば偏見が無くなるかもしれないし。このブログは、そういうブログにしたいと思っている

 というわけで話を続ける。

 

 だってさ。スケートだよ? 氷の上で滑るんだよ? リンクを冷やすだけでどんだけ電気代かかるんだよ。そんで練習場ってレンタルするんでしょ? 絶対金かかるじゃん。 

 そもそも普通の子どもが、「フィギュアスケートやりたい!」って思うのか? いや、最近は思うのかもしれないな。浅田真央とかの影響で。

 でも大抵は親が子どもにやらせる、福原愛方式でしょ? 関係ないけど、昔は福原愛(当初は小学生になるかならないかくらいだったと記憶している)が泣きベソかきながら練習するところをテレビで延々流してたんだから、どうかしてたよね。平成生まれは知らないかもだけど。

 

 トップクラスのフィギュアスケーターが、才能を持っていることや、努力を重ねてきたことはわかる。彼ら彼女らの演技が素晴らしいものだということもなんとなくわかる。素人の僕が見ても、上手だなーって思うし。

 でもなんていうか、全体的に「貴族の遊び」を見せられてる感じが強くて、感情移入できないんだよね。あるいは「貴族のスポーツ」と言い換えてもいいんだけど。

 

 で、こんなことを書くからには、一応ちゃんと調べましたよ。フィギュアスケートが「貴族のスポーツ」かどうかを。ちょっとググっただけだけど。

 結論から言うと、裕福でない家庭に生まれながら、フィギュアスケートのトップ選手になった人はいるみたいです。

 代表的な例が伊藤みどりフィギュアスケートというスポーツの歴史に革新をもたらすほどの選手だったそうだが、母子家庭で育ったという。そういえば前にテレビでマツコデラックスがそんな話をしていたきがする。

 また高橋大輔も「決して裕福とは言い難い家柄ながらも家族一丸となって支え(Wikipediaより)」られてきたという。

 ということで、全てのフィギュアスケート選手が裕福な家庭出身というわけではないらしいことはわかった。

 

 ただ、いずれの場合も、若い頃にその才能と実力をコーチ等に見込まれて、その多大な支援を受けてきたことも確からしい。

 結局のところ、フィギュアをやるのにお金がかかるのは間違いないようだ。

 

 そんなことを言ったら、今時プロになるのにお金がかからないスポーツなんて、どこにもないのかもしれない。伝統のあるスポーツであればあるほど。

 「つーかお金がかかって何が悪いわけ? 素晴らしい演技が見られればそれでいいじゃん。僻み? 僻みなの? 」という心の声がどこから聞こえる。確かにその通りだと思う。

 でもせめて、「フィギュア、あんま好きじゃないんだよね」と言う自由くらいは認めてほしい。楽しんでる人の邪魔はしないから。

なぜブログのアクセス数公開記事を読むとモヤっとするのか

 自分のブログのアクセス数を公開する人がいる。アクセスアップの具体的な方法を公開する人もいる。

 個人的には、そういう記事を読むと、なんだかモヤッとした気持ちになる。その気持ちが、必ずしも正当なことだとは思わないが。

 なぜ僕は、アクセス数公開時や、アクセス数アップのノウハウ記事を読むとモヤっとした気持ちになるのだろうか?

 

 例えば、もし僕が好きな小説家が「発行部数100万部超えました!」とか「売れる小説を書くためにこんな工夫をしました!」とかいうことを得々と語り始めたら。

 たぶん僕は、その人の小説を、二度と読まなくなるだろう。ミュージシャンなどの場合でも同様である。

 

 しかしこれが漫画だったりすると、少々話が異なる。

 漫画「バクマン」は、「どうすれば漫画が売れるか」というような話を延々とする漫画だったが(アニメ版を家族と一緒に見た。というか半ば強制的に見せられた)、それほどモヤっとはしなかった。「夢を持った若者が努力して夢を叶える」というストーリー自体がどうにも退屈ではあったが。

 映画なんかも同様で、「面白い映画=売れる映画」と素直に言えるような雰囲気がある気がする。

 

 これがもし、そもそも最初から売ることが目的の「商品」であれば、もはやモヤっとすることはない。

 テレビ番組で「このカップラーメンが売れた理由の陰には、こんな努力があった!」みたいな話をしていても、ふーんとしか思わない。むしろそれが当たり前に思える。

 

 つまり、もし僕が初めから「ブログとはアクセス数を稼ぐためにやるものだ」という認識であったならば、アクセス数公開記事を読んでもモヤッとしない、ということになる。

 逆に言えば、僕はブログというものを、小説や音楽と同じようなものだと考えており、だから「アクセス○○万突破!イェーイ」みたいな記事を読むと、うっせーな、と思うのかもしれない。

 ということは、僕はブログというものを、自己表現の一種と考えているのだろうか? そんなつもりはなかったのだけれど。

なぜニコニコ動画の実況プレイ動画が面白くなくなったのか?

 なぜ実況プレイ動画が面白くなくなったか? それは、ニコニコ動画や実況プレイ動画が、世間的に有名になったからだ。
 昔は、著作権無視で、好きなことができた。無茶苦茶なことができた。ゲームを改造した動画や、エミュレーターを使用した動画が平然とアップされていた。だから面白かった。大雑把に言えば。
 今は、著作権侵害で動画が削除されるようになった。ゲームメーカーがニコ生で宣伝配信をするようになった。それにより、昔のような良くも悪くも自由な空気が失われていった。
 人気になりたい実況者は、ルールに則った、当たりさわりのない動画を作るようになった(そのような動画が女性や子供にウケた、と言う人もいるが、本当のところはわからない。大人の男にだって、無難なものが好きな人はいるだろう)。
 さらにそのような、当たりさわりのない人気実況者の真似をする人が増え、当たりさわりのない動画はますます増えていった。かくして(昔ながらの実況プレイファンにとっては)面白くない実況プレイ動画が増えていった。
 
 今後もこの流れは続き、実況プレイ動画は凋落していくのだろうか? それはわからない。未来のことは誰にもわからない。当たり前のことを言うなと怒られそうだが、わからないことはわからないのだから仕方ない。
 いろいろな未来が考えられるが、一つだけ確かなことは、実況プレイ動画を取り巻く環境を昔のような自由な気風に戻すことは、絶対にできないということだ。たとえ、ある日突然著作権法が改正され、あらゆるプレイ動画・改造動画・エミュ動画の投稿が完全に合法化したとしても。
 元々、実況動画を見るという行為の面白さは、それ自体がマイナーであるということに依っていたのではないかと思う。かつてのサブカルチャーがそうであったように。テレビにも雑誌にも載っていない、面白い動画を見ている自分、というバイアス。
 ニコ生のメーカー公式配信に出演するような人気実況者には、そういった「サブ」な印象はまるで見受けられない。全部見たわけじゃないから断言はできないけど。
 今後、彼らが人気を博すという形で、実況プレイ動画が盛り上がることはあるかもしれない。しかしそこに広がるのは、もはやかつての実況プレイ動画界隈とは全く別の景色となるだろう。
 とはいえ、それはあくまで「ニコニコ動画」の「実況プレイ動画」だけを見た場合の話だ。
 ゲームというものが存在する限り、そしてゲームプレイの楽しさを共有したいという気持ちが存在する限り、当面の間、実況プレイ動画もまた存在し続けるだろう。きっと。
 
 なんてことを書きながらテレビを点けていたら、お笑い芸人がスーファミのゲームをプレイしていて、そういう時代なんだなぁ、なんて思った。

ニコニコ動画のランキングが有名ゲーム実況者で埋め尽くされている問題について

 通称マリオメーカー問題についてだが、色々な論点がごちゃまぜに取りざたされていて、何が何だかわからない感じになっている。

 ここではタイトルの通り「 ニコニコ動画のランキングが有名ゲーム実況者で埋め尽くされている問題」について書いてみることにする。

 

 まず前提として、僕はもともと実況プレイ動画があんまり好きじゃない。ゲームの動画を見るときは、だいたいゆっくり実況動画か字幕プレイ動画を見るようにしている。

 理由はシンプルで、素人の喋りを聞いて面白いと思う確率が、あまりにも低いからだ。

 でも、たまに面白いと思う実況プレイ動画に出会うことはある。だから全く見ないわけじゃない。

 そして昨今の、アイドルじみた実況者の増殖については、個人的にはあまり好ましいとは思っていない。せっかくネットという新しいメディアを使っているのに、やってることがどんどんテレビの真似みたいになっているように見えて、ゲンナリする。

 彼ら人気実況者の人気は、きちんとしたルールに則って得たものだ。誰からも文句を言われる筋合いはない。

 しかし彼らの人気が極度の寡占状態となったため、ランキングには常に同じような実況者の動画がランクインするようになり、彼らのことを好きでない人にとっては、ランキングを見ること自体が面白く無くなってしまっている。

 しかも人気実況者の多くは投稿ペースが早い。ますますランキングが人気実況者で埋め尽くされる。ランキングが面白く無くなる。以下無限ループ。

 

 そもそもの根本には、そのような状況に対するユーザーたちの不満があったように思う。クリエイター奨励プログラムがどうとか、マリオメーカーがどうとかいう話は、きっかけに過ぎない。

 何度も言うが、彼ら人気実況者の投稿スタイル(メーカー公認ゲームの動画をこぞってアップしたり、人気を保つために速いペースで動画を投稿したり)には、なに一つ責められるべき点は無い。彼らはルールに則って、正しい手続きを踏んで、その人気を勝ち得たのだ。

 しかしゲーム実況全体を見渡してみれば、同じような実況者の同じようなゲームの動画が溢れている現状は、総合的に見て面白くないのは明らかだ。そんなにゲーム実況に思い入れのない僕がそう思うんだから、昔からニコニコのゲーム実況が好きだった人ほど、より強くそう感じているに違いない。

 確かに、ランキングから少し目を離せば、昔ながらの面白いゲーム動画を見つけることはできる。某アクションゲームのスーパープレイ動画や、某RPGシリーズの縛りプレイ動画などは、非実況動画でありながら、ランキングの常連だ。

 しかし人気実況者ばかりが公式配信に出たりゲームメーカーの宣伝に駆り出されたりしている現状を見ると、まるで彼らが「ニコニコの顔」として扱われているように感じられてしまう。

 感覚としては、オリコンチャートをアイドルとジャニーズとエグザイルが独占している(もはや実際そうであるかすらよく知らないが)感じに近いかもしれない。今どきオリコンチャートを参考にCDを買う人なんて誰もいない。しかしだからといって、今のオリコンチャートが健全なものであると思う人もまた、そう多くはないはずだ。

 オリコンチャートに対して嫌悪感を示す行為が、ともすれば子どもっぽく見えがちなことも、今回の問題に似ている。「誰もオリコンなんて見てないんだから、目くじら立てたって無駄だろ?」的な。

 

 現実問題として、今後ニコニコ動画のランキングに有名ゲーム実況者や公式のアニメ配信などが増えていくことは避けられないだろう。個人的には、そのことががニコニコ動画の衰退を招くことになるとは思わない。ただ単に「そういう場所」になっていくというだけのことだ。

 そもそも「面白いものを作れば人気が出る」というニコニコ動画の基本的な仕組み自体は、それほど変わっていないと思う。確かに有名実況者が動画検索やランキングの邪魔になっている感は否めないが、ニコニコ動画が持っている「コメント機能」や「タグ機能」といったアーキテクチャ(って、使い方あってる?)は、「面白いものを見つけやすくする」という目的においては、まだまだ有効なのではないか、と。