rhのブログ

日々思ったことについて、書くかもしれない

「ストレッチは毎日やるべきなのか?」という問題についてひとり悶々と考える

 ストレッチというものについて考える。

 もっと上の世代はどうだか知らないが、我々ゆとり世代はわりとストレッチと身近に接してきた人が多いのではないかと思う。体育の時間にもストレッチがあったし、運動系の部活動でもちゃんとしてるところなら必ずストレッチをする。自分は文化系の部活にも入っていたが、そこでも毎回始める前にストレッチをしていた。半分運動系に近い部活だったのもあるが。

 しかし最近はめっきりストレッチをしなくなった。なぜか。

 もちろん面倒だとか忙しいだとかいう理由はある。しかしそれだけではないと思う。

 もしそれが目に見えて健康に良いことであれば、誰だって続けようするはずだ。自分もほぼ毎日筋トレをしているし、最近は電動歯ブラシを買って一日二回歯磨きをしている。朝食にはグラノーラにヨーグルトをかけたものを毎食食べている。どれも健康のためというよりは、単に気持ち良かったり美味しかったりして続けているという面が強いが。

 しかしストレッチはしない。していない。それはきっと、ストレッチの効果がイマイチ実感しにくいものだからなのだろう。

 たまーに気が向いたときに久しぶりにやるストレッチは、確かに気持ちいいし、実際に体が軽くなる感触もあったりする。しかし毎日続けていると、だんだん効果が実感しづらくなってくる。

 するとだんだん「これって効果あるのか?」とか、「そもそもストレッチって毎日やっていいものなのか?体に悪いんじゃないか?」というような疑念が心中に湧いてきて、さらにそのうちそんな気持ちすら湧いてこなくなり、単純に飽きてやめてしまう。

 

 よくネットの記事で「たった三分で体が軽くなる簡単ストレッチ!」みたいなのが話題になったりする。確かにそれをやると体が軽くなることもある。

 しかし私が知りたいのはそういうことじゃない。ストレッチの方法なんてググればいくらでも見つかる。

 私が知りたいのは、「ストレッチは毎日やるべきなのか?」ということであり、さらに言えば「オレは具体的にどんなストレッチをやるべきなのか?」ということなのだ。

 いや、わかってる。わかってるよ。「なんにでも簡単に答えを求めようとするんじゃねえよこのゆとりクソバカ野郎が」って言いたいんでしょ? って、そこまで言わなくていいじゃんか。

 わかってるよ。「必要なストレッチはその人によって違う」とかそれらしいことを言いたいんでしょ。あるいは「そもそもストレッチの有効性について、はっきりしたエビデンスは存在しない。なぜならそれほどスポーツ科学は複雑で総合的だからだ」とか優等生みたいなこと言いたいんでしょ。

 僕は、だね。実際にストレッチというものにどのように取り組むべきかという問題について考えているんだよ。そういう正論はもっと別のところでやってくれ。

 

 と、存在しない人と会話するみたいな分裂気味の文章を書いていたら、ふと「スポーツジムとかに行って専門家の意見を仰ぐのが一番早いんじゃね?」という意見が脳内より湧出した。

 正論であるだけでなく、実際的でもある。

 でもお金も無いしめんどくさいしなぁ。こういうとき、面白系のWebライターだったら実際に取材に行ったりするんだろうなぁ。

 でもアレだよね。こういうのって、結局のところ、実際にやって確かめるのが一番早かったりするんだよね。うーん、普通。やっぱり普通が一番なのか? 普通って言うな!

 

 というわけで今後しばらくストレッチを習慣にしようと心に決める。本当に続くかどうかはわからないが。とりあえず前屈あたりから始めればいいのかな?

ブログ記事には「バズる」タイトルよりも普通のタイトルをつけたい

 エルゴノミクスキーボードを買ったんですよ。それに関してはもうメインブログの方に書いたんだけど。

 で、その記事のタイトルのつけ方について、ちょっと悩んだんです。

 もし「全ブロガーはエルゴノミクスキーボードを使え!!」みたいなタイトルをつけたら、ブログを書いている人たちを中心にバズるかもしれないな、と。まぁ、多分無いけど。

 バズったらもちろんうれしい。ぶっちゃけ広告収入も入るので二度うれしい。

 でも、もしそのタイトルで記事を書いていたら、検索サイト経由のアクセスが減るんじゃないかな、とも思って。

 だって「ブロガー エルゴノミクスキーボード」みたいなキーワードじゃないと検索上位に上がってこないわけだから。

 だったら自分は、シンプルにそのキーボードの商品名だけをタイトルに入れて書くことで、そのキーボードを欲しいと思っている人がアクセスしやすくなるようにしたい。だからそういう風にした。今回はちょっと迷ったというだけで、いつもそういう風にしてるんだけど。

 別に自分がそういうやり方を正しいと思っているというわけではなくて、単純にそっちの方が自分に合っていると感じてる。

 どうも特定の誰かに向けて記事を書くのが苦手。誰ともわからない人が、たまたまアクセスしてくれて、ちゃんとその人の役に立つ、みたいなのが理想。バズることが嫌なわけじゃないけど。そもそもほとんどバズったことないし。

 っていうか「バズる」って他にもっとマトモな言い方ないの? なんかアホっぽいから嫌なんだけど。普通に「流行る」とかでいいのかな? でも「ブログ記事が流行る」ってなんか変だし。

ブログを書く時はワンテーマでなければならない問題

 ブログを書く時には、テーマをひとつに絞らなければならない。これは鉄則である。

 いや、もちろんそんなルールがあるわけじゃない。複数テーマで書いたからといって、ブログ界の神の逆鱗に触れてしまい、地は裂け海は割れ、鳥は鳴き花は咲き、養老孟司が新作「壁の壁」を書いてノーベル文学賞受賞、なんてことにはならない。私は何を言っているのだろう。

 より正確に言うならば、複数のテーマでブログ記事を書くと様々なデメリットがある、のである。

 まず、いろいろなテーマで記事を書くと、読んだ人が感想を言うのが難しくなるという問題。ひとつのテーマなら、コメントしたりSNSで拡散する時でも、ひとつの意見を書けば済むので、それだけ言及・拡散する敷居が下がるのである。

 さらに検索サイトへの最適化という観点から言っても、テーマが複数の記事はランクが上がりにくいハズだ。

 自分が検索する立場に立って考えてみればわかるが、例えば「涙を流さず玉ねぎを切る方法」を調べたいと思って検索した時、最初に出てくるサイトに「シマウマとカマドウマの見分け方」「ワンランク上の『よんどころない』の使い方」「涙を流さず玉ねぎを切る方法」「手羽先を使わずに手羽先の唐揚げを作る方法」といった複数のテーマがびっしりと書き込まれていたら、その中から目的情報を見つけ出すのは非常に困難だ。あとそのサイトを作ったやつはどうかしているので検索で病院を探したほうがいい。

 何を言いたかったのか自分でも一瞬わからなくなってしまったが、要するに、ユーザーフレンドリーならぬリーダーフレンドリーの観点から、ブログはワンテーマに絞ったほうがなにかとよろしいのではないか、ということを私は言いたい。

 もちろん、ワンテーマでなくても許される場合はある。例えば書いている人が有名人の場合、別に当たり障りのない内容であっても、興味のある人が勝手に読んでくれるので、テーマを絞る必要はない。

 もう一つ、そのブログ記事の内容がフィクション、つまり小説や詩やマンガなどの表現である場合。

 フィクションというのは、それ自体が始まりから終わりに向かって進行するものであるから、複数のテーマを扱うのに向いている。というよりも、単一のテーマのために奉仕するフィクションほどつまらないものはない。普通、進◯研ゼミのマンガを本棚に並べる人はいない。極一部のマニアならいるかもしれないが。

 そう考えると、フィクションてすげえな、と思うのだが、多分、フィクションを作るためにはなにかしらの、跳躍、が必要で、そこんところを越えられない、多分一生越えられない自分がちゃんとフィクションを作ることはできないんだろうな、という感じもする。わかんないけど。

スポーツサイクルは、良い。

 スポーツサイクルはいい。歩くよりも、走るよりも、ママチャリよりも、速く走れる。

 クロスバイクを買うなら実売り5万、ロードバイクを買うなら実売り10万以上は出したほうがいい。ネットで売っている安いやつでなく、実際に店に行って、サイズを確認して買ったほうがいい。自分は家族のお下がりのGiant Escapeに乗ってるけど。

www.giant.co.jp

 ライトとスピードメーターを買って取り付けるといい。っていうかライト無しで公道を走ったら法律に引っかかる。盗難防止のキーロックももちろん必須。

 長距離を走るなら手袋を。スピードを出すならヘルメットを買うといい。ほんとはスピードを出さなくてもヘルメットは被ったほうがいいんだけど、見た目がダサい。慣れるとそれがかっこよく見えるらしいけど、自分はまだその境地には達していない。

 サドルが小さいから最初は尻が痛くなるかもしれないが、我慢すれば2~3回で慣れる。ジーンズを履くのはあまりよくない。せめてチノパン。長ズボンを履くなら、右足の裾がギアに引っかかるのを防ぐためのベルトが売ってるから、それを巻け。ちなみに自分は一時期、野球用のストッキングベルトを巻いていた。

 スポーツサイクルに乗ると、もちろん行動範囲が広がる。しかし速く遠くに行くほど疲れる。当然のことかもしれないが、これからスポーツバイクに乗ろうという人ほど、そういう当然のことを見逃しがちだ。自転車はオートバイではないのだ。自分の力でペダルを漕がなければならない。

 あと、スポーツサイクルは荷物が積めない。よって買い物にも向いていない。それだったらママチャリに乗ったほうがいい。

 交通費を浮かせるためにスポーツサイクルに乗る、というのも、個人的にはやめたほうがいいと思う。スポーツサイクルはまずそれ自体が高価なものだし、メンテナンスにも地味に費用が掛かる。喉が乾くし腹も減る。電車やバスに乗ったほうが楽だし効率的だ。安くてメンテの手間が少ないママチャリに乗るという手もある。

 それでもやっぱりスポーツサイクルは楽しい。自分の力で、風を切って走る楽しさは、他では代えがたい。

 自分でパンクを修理したり、パーツをカスタマイズするのも楽しい。自分はトゥークリップという、時代遅れのパーツを使うことで、勝手に通ぶって悦に浸ったりしているが、それもまた楽しい。

 しかし事故には気を付けなければいけない。自分は以前、外苑周辺で他のロードバイクに後ろから追突され、リアディレーラー(後輪のギアを調節するパーツ)をぼっきり折られてしまったことがある。しかもそのロードバイク乗りには、修理中に逃げられた。よくよく考えたら単なる当て逃げであるが、後の祭り。修理費一万円強。怪我がないだけよかったが。

 それ以来、スピードを出すのはサイクリングロードだけにして、街中を走るときは、ママチャリに乗っているくらいのつもりでゆっくり走るようになった。

 と、悪いことも結構書いたが、なんだかんだ言って楽しいので、「運動をしたい」「趣味を探している」という人にはスポーツサイクルに乗ることを強くお勧めしたい。ツーリング仲間ができればもっと楽しいんじゃないかな。僕はいないけどね。

昔の自分は、面白い文章を書こうと躍起になっていた気がする

 昔の自分は、面白い文章を書こうと躍起になっていた気がする。

 最近は、なんかそういうサービス精神みたいなものが全然湧いてこない。枯れたのかな? そうかもしれない。

 自分が好きな、面白い文章を書く人みたいに、面白い文章を書こうとしていた。でも努力して面白い文章を書こうとするのは、苦しかった。しんどかった。

 今はもっと自然に文章をかけているだろうか? よくわからない。

 余計なものを取り去ってしまうと、書くべきことはあまり多くない。必要な、情報だけを、伝達すること。そしてふと思いついたどうでもいいアイデアを文章中に盛り込むこと。その程度で終わってしまう。

 それでもやっぱり文章を書くことは心地よくて、やめられない。

 もし自分が文章を書くのをやめる時が来るとしたら、それは、文章を書くことそのものがしんどくなった時、であろう。その時は意外と早く来るかもしれないな、なんて、縁起でもないことをふと思う。いや、引退宣言とかじゃないよ。ただ、ふと思っただけで。

なぜ僕はフィギュアスケートを見て素直に感動できないのか

 フィギュアスケートが好きではない。嫌いというわけでもないけど。

 テレビのニュースなどで、やたらとフィギュアスケートを取り上げる理由がよくわからない。もっと他に面白いスポーツがあるんじゃないかと思ってしまう。

 なぜ僕はフィギュアスケートをそんなに好きではないのだろうか? なぜフィギュアスケートを見て素直に感動することができないのか?

 よくよく考えてみた結果、それは僕が「フィギュアスケートは金持ちがやるスポーツだ」と思い込んでいるからに違いない、という結論に達した。

 金持ちが、自分の子どもに英才教育を施さなければ、トップ選手になれない。そんなスポーツ見たくねぇよ、と。

 

 そんなことを言うと、全国の羽生結弦ファンに袋叩きにされた上、全国の織田信成ファンに焼き討ちに会うかもしれない。

 いや、わかってる。わかってるよ。自分の言ってることが偏見に違いないってことは。

 でも、だからこそ、自分がいったいどのような偏見を持っているかを、一度ここでキチンと形にしておきたいと思う。そうすれば偏見が無くなるかもしれないし。このブログは、そういうブログにしたいと思っている

 というわけで話を続ける。

 

 だってさ。スケートだよ? 氷の上で滑るんだよ? リンクを冷やすだけでどんだけ電気代かかるんだよ。そんで練習場ってレンタルするんでしょ? 絶対金かかるじゃん。 

 そもそも普通の子どもが、「フィギュアスケートやりたい!」って思うのか? いや、最近は思うのかもしれないな。浅田真央とかの影響で。

 でも大抵は親が子どもにやらせる、福原愛方式でしょ? 関係ないけど、昔は福原愛(当初は小学生になるかならないかくらいだったと記憶している)が泣きベソかきながら練習するところをテレビで延々流してたんだから、どうかしてたよね。平成生まれは知らないかもだけど。

 

 トップクラスのフィギュアスケーターが、才能を持っていることや、努力を重ねてきたことはわかる。彼ら彼女らの演技が素晴らしいものだということもなんとなくわかる。素人の僕が見ても、上手だなーって思うし。

 でもなんていうか、全体的に「貴族の遊び」を見せられてる感じが強くて、感情移入できないんだよね。あるいは「貴族のスポーツ」と言い換えてもいいんだけど。

 

 で、こんなことを書くからには、一応ちゃんと調べましたよ。フィギュアスケートが「貴族のスポーツ」かどうかを。ちょっとググっただけだけど。

 結論から言うと、裕福でない家庭に生まれながら、フィギュアスケートのトップ選手になった人はいるみたいです。

 代表的な例が伊藤みどりフィギュアスケートというスポーツの歴史に革新をもたらすほどの選手だったそうだが、母子家庭で育ったという。そういえば前にテレビでマツコデラックスがそんな話をしていたきがする。

 また高橋大輔も「決して裕福とは言い難い家柄ながらも家族一丸となって支え(Wikipediaより)」られてきたという。

 ということで、全てのフィギュアスケート選手が裕福な家庭出身というわけではないらしいことはわかった。

 

 ただ、いずれの場合も、若い頃にその才能と実力をコーチ等に見込まれて、その多大な支援を受けてきたことも確からしい。

 結局のところ、フィギュアをやるのにお金がかかるのは間違いないようだ。

 

 そんなことを言ったら、今時プロになるのにお金がかからないスポーツなんて、どこにもないのかもしれない。伝統のあるスポーツであればあるほど。

 「つーかお金がかかって何が悪いわけ? 素晴らしい演技が見られればそれでいいじゃん。僻み? 僻みなの? 」という心の声がどこから聞こえる。確かにその通りだと思う。

 でもせめて、「フィギュア、あんま好きじゃないんだよね」と言う自由くらいは認めてほしい。楽しんでる人の邪魔はしないから。

なぜブログのアクセス数公開記事を読むとモヤっとするのか

 自分のブログのアクセス数を公開する人がいる。アクセスアップの具体的な方法を公開する人もいる。

 個人的には、そういう記事を読むと、なんだかモヤッとした気持ちになる。その気持ちが、必ずしも正当なことだとは思わないが。

 なぜ僕は、アクセス数公開時や、アクセス数アップのノウハウ記事を読むとモヤっとした気持ちになるのだろうか?

 

 例えば、もし僕が好きな小説家が「発行部数100万部超えました!」とか「売れる小説を書くためにこんな工夫をしました!」とかいうことを得々と語り始めたら。

 たぶん僕は、その人の小説を、二度と読まなくなるだろう。ミュージシャンなどの場合でも同様である。

 

 しかしこれが漫画だったりすると、少々話が異なる。

 漫画「バクマン」は、「どうすれば漫画が売れるか」というような話を延々とする漫画だったが(アニメ版を家族と一緒に見た。というか半ば強制的に見せられた)、それほどモヤっとはしなかった。「夢を持った若者が努力して夢を叶える」というストーリー自体がどうにも退屈ではあったが。

 映画なんかも同様で、「面白い映画=売れる映画」と素直に言えるような雰囲気がある気がする。

 

 これがもし、そもそも最初から売ることが目的の「商品」であれば、もはやモヤっとすることはない。

 テレビ番組で「このカップラーメンが売れた理由の陰には、こんな努力があった!」みたいな話をしていても、ふーんとしか思わない。むしろそれが当たり前に思える。

 

 つまり、もし僕が初めから「ブログとはアクセス数を稼ぐためにやるものだ」という認識であったならば、アクセス数公開記事を読んでもモヤッとしない、ということになる。

 逆に言えば、僕はブログというものを、小説や音楽と同じようなものだと考えており、だから「アクセス○○万突破!イェーイ」みたいな記事を読むと、うっせーな、と思うのかもしれない。

 ということは、僕はブログというものを、自己表現の一種と考えているのだろうか? そんなつもりはなかったのだけれど。