rhのブログ

日々思ったことについて、書くかもしれない

自分の頭で考える、ということについて少しだけ考えた

 かつて「自分の頭で考えよう」と盛んに言っていたブロガーがいた。

 最近はプロゲーマーとの対談本を出したりしている。

 ゲーム全般に興味がある僕は、本屋でちょっと手に取ってみたが、結局買わなかった。

 なぜ買わなかったかというと、そのブロガーが書いたブログを何度か読んだことがあったし、対談相手のプロゲーマーが書いた本も読んだことがあったからで、それらで書かれていたのと大体同じようなことが、その対談本にも書かれていたように感じたからである。

 果たしてこの結果は、僕が自分の頭を使って考えた結果なのだろうか。別にそんなことはどうだっていいんだけれども。

 

 そもそも「自分の頭で考える」ということが可能なのかどうか。自分にはよくわからない。

 なにかしらの考えが頭に浮かんだとして、果たしてそれが自分の頭から生まれた考えなのか、それともどこかから入ってきた誰かの考えを、自分の考えであると錯覚しているだけなのか、よくわからないし。そもそも自由意志というものがあるのかということから考えなければならない気がしてくるし。

 ここまで書いてきて、語の重複がやや多いのは、わざわざ同義異語(という言葉は今僕が考えた)を考えるのが面倒だからそのままにしているからなのだけれど、これは自分の頭を使って考えていると言えるのだろうか。別にそんなことはどうだっていいんだけれども。

 

 とはいうものの、「あ、今自分の頭で考えたな」と感じることは僕にもある。

 そして、そのようにして考えたことを実際に行動に移して、それがいい結果を出すと、気持ちいいな、と感じる。

 そして、そんなような成功を、僕よりもずっと大きな規模で何度も繰り返しているからこそ、くだんのブロガーは「自分の頭で考えよう」ということを繰り返し吹聴していたのだろう。

 気持ちのいいことを、気持ちのいいこととして周囲に喧伝して、それを真似した人たちが同じように気持ちよくなるのだとしたら、それはそれでいいことなのかもしれない。

 でも、自分の頭で考えているつもりで、気がついたら誰かの考えを自分の考えだと思い込まされていた、なんてことにならないように気をつけたほうがいいのかもしれない。どうでもいいけど。いや、よくないかな。