ニコニコ動画のランキングが有名ゲーム実況者で埋め尽くされている問題について
通称マリオメーカー問題についてだが、色々な論点がごちゃまぜに取りざたされていて、何が何だかわからない感じになっている。
ここではタイトルの通り「 ニコニコ動画のランキングが有名ゲーム実況者で埋め尽くされている問題」について書いてみることにする。
まず前提として、僕はもともと実況プレイ動画があんまり好きじゃない。ゲームの動画を見るときは、だいたいゆっくり実況動画か字幕プレイ動画を見るようにしている。
理由はシンプルで、素人の喋りを聞いて面白いと思う確率が、あまりにも低いからだ。
でも、たまに面白いと思う実況プレイ動画に出会うことはある。だから全く見ないわけじゃない。
そして昨今の、アイドルじみた実況者の増殖については、個人的にはあまり好ましいとは思っていない。せっかくネットという新しいメディアを使っているのに、やってることがどんどんテレビの真似みたいになっているように見えて、ゲンナリする。
彼ら人気実況者の人気は、きちんとしたルールに則って得たものだ。誰からも文句を言われる筋合いはない。
しかし彼らの人気が極度の寡占状態となったため、ランキングには常に同じような実況者の動画がランクインするようになり、彼らのことを好きでない人にとっては、ランキングを見ること自体が面白く無くなってしまっている。
しかも人気実況者の多くは投稿ペースが早い。ますますランキングが人気実況者で埋め尽くされる。ランキングが面白く無くなる。以下無限ループ。
そもそもの根本には、そのような状況に対するユーザーたちの不満があったように思う。クリエイター奨励プログラムがどうとか、マリオメーカーがどうとかいう話は、きっかけに過ぎない。
何度も言うが、彼ら人気実況者の投稿スタイル(メーカー公認ゲームの動画をこぞってアップしたり、人気を保つために速いペースで動画を投稿したり)には、なに一つ責められるべき点は無い。彼らはルールに則って、正しい手続きを踏んで、その人気を勝ち得たのだ。
しかしゲーム実況全体を見渡してみれば、同じような実況者の同じようなゲームの動画が溢れている現状は、総合的に見て面白くないのは明らかだ。そんなにゲーム実況に思い入れのない僕がそう思うんだから、昔からニコニコのゲーム実況が好きだった人ほど、より強くそう感じているに違いない。
確かに、ランキングから少し目を離せば、昔ながらの面白いゲーム動画を見つけることはできる。某アクションゲームのスーパープレイ動画や、某RPGシリーズの縛りプレイ動画などは、非実況動画でありながら、ランキングの常連だ。
しかし人気実況者ばかりが公式配信に出たりゲームメーカーの宣伝に駆り出されたりしている現状を見ると、まるで彼らが「ニコニコの顔」として扱われているように感じられてしまう。
感覚としては、オリコンチャートをアイドルとジャニーズとエグザイルが独占している(もはや実際そうであるかすらよく知らないが)感じに近いかもしれない。今どきオリコンチャートを参考にCDを買う人なんて誰もいない。しかしだからといって、今のオリコンチャートが健全なものであると思う人もまた、そう多くはないはずだ。
オリコンチャートに対して嫌悪感を示す行為が、ともすれば子どもっぽく見えがちなことも、今回の問題に似ている。「誰もオリコンなんて見てないんだから、目くじら立てたって無駄だろ?」的な。
現実問題として、今後ニコニコ動画のランキングに有名ゲーム実況者や公式のアニメ配信などが増えていくことは避けられないだろう。個人的には、そのことががニコニコ動画の衰退を招くことになるとは思わない。ただ単に「そういう場所」になっていくというだけのことだ。
そもそも「面白いものを作れば人気が出る」というニコニコ動画の基本的な仕組み自体は、それほど変わっていないと思う。確かに有名実況者が動画検索やランキングの邪魔になっている感は否めないが、ニコニコ動画が持っている「コメント機能」や「タグ機能」といったアーキテクチャ(って、使い方あってる?)は、「面白いものを見つけやすくする」という目的においては、まだまだ有効なのではないか、と。
「世論を二分すること」が目的になっていないか。
安保法案が通ったね。で、それについてなにか言いたいのかというと、全然言いたくない。だってわかんないし。
だって国家間のパワーバランスなんて、一個人である僕にわかるわけないじゃん。当たり前じゃん。
結局のところ、「本当のところ」が国民一人ひとりに知らされることはなく、どこの誰かもわからない偉い人が、国家のことを決めていってしまうんだな、という、今までどおりの印象しかない。
ただ残念だったのは、今回の件でいろんな場所に罵倒・誹謗・中傷の言葉が飛び交ったということで、有名な人だけでなく、自分の知り合いまでもが、Twitter上などで誰かを腐すようなことを言っていた。
「○○死ね」だとか、あるいは「抗議活動している学生は出会い目当てだ」みたいな、どうしようもなくガッカリしてしまうような意見が、ネット上を飛び交う。そんなことのためにTwitterやFacebookが使われている。
今話し合うべきことは、そんなことじゃないだろう。みんな、もうちょっと冷静になったらどうか。
みたいなことを言っても、誰も聞いてくれなさそうな空気が、今の社会には漂っている。そんな気がする。
どっち側の意見に賛成で、どっち側の意見に反対なのかをハッキリさせないと、ものも言えない。震災以降、そういう流れが強まっている気がする。
それは、戦後60年ほど、「政治」や「思想信条」が軽んじられてきたことに対する、一種のカウンター、日本語で言えば反動、なのかもしれない。
でもそれが行き過ぎて、敵対する相手を攻撃して楽しむゲームみたいになっていやしないか。
「世論を二分すること」そのものが、目的になっていやしないか。
誰にとっての目的なのか? それはよくわからないけど。
みたいなことを考えながら今日はMGSV:TPPをやりました。DD可愛いよDD。