rhのブログ

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『ストリートファイターV』が簡単化した功罪について

ストリートファイターV』は格闘ゲームとして面白いのかどうかについて考える。

自分はストVを極めたわけでもなんでも無い。

だから外側のことから考えてみたい。

外側とはなにか。

それはゲームそのものの周りにいるプレイヤーのことであり、主にプロゲーマー達による試合を観ている側のことでもある。

プレイヤーや観客(観戦料を取る格闘ゲームの興行はかなり少ないので客と呼ぶべきかどうかわからないが今は観客と呼ぶ)はどのようにストリートファイターVを受け取っているか。

というと主語が大きくなってしまっている。

筆者である自分が、一人のプレイヤー、一人の観客として自分がどのようにストリートファイターVを受け取っているか。

それについて書いていきたい。

つまりこれから書くことは個人の感想だ。

などという当たり前のことを言うのにずいぶん行数をかけてしまった。

 

ストリートファイターVは操作が簡単だ。

以下の専門用語は読み飛ばしていいが、先行入力があるので目押しが簡単だったり、投げ抜け仕込みが廃止されていたり。

その結果、これまでのシリーズ作品と比べれば格闘ゲーム初心者にもとっつきやすいゲーム性になっている。

しかし簡単になったということは、難しいことができなくなったことをも意味している。

プレイヤーとして「やりこみ」で実力を磨く楽しみや、観客として上級者による高度な「やりこみ」を味わう楽しみ方がしにくくなってしまった。

やや極端な言い方になるが、コンボもセットプレイ(定型化された攻めの手順)も防御も、それそのものだけを取り出せば、ある程度格闘ゲーム経験のある人なら誰でも真似ができるものになってしまっている。

上級者ほど皆似たようなプレイングになり、個性が見えにくくなっている。

観客が注目するのは「やりこみ」よりも、「瞬間的な操作精度の高さ」や「ピンチに動じない精神力」など属人的な要素に寄り添うようになった。

それは必ずしも悪いことではない。

上級者の超絶技巧を楽しむにはそれなりのリテラシーが必要だ。

それよりも属人的な部分に注目するほうが「観客初心者」にとってもわかりやすい。

プレイする人も、観る人も、どちらにとっても間口を広げた格闘ゲーム。それがストリートファイターVだ。

しかし古き良き格闘ゲームの醍醐味であった「やりこみ」の妙は確実に失われてしまった。

 

とはいえ個性的なプレイが完全に無くなってしまったわけではない。

他の追随を許さない操作精度を誇るアメリカの若きプレイヤー。長期戦でセオリーの真逆を行く戦法で年下を破り年功を見せつけたカリスマ。

なにより高度なプレイを実現すべく日々研鑽努力しているプロプレイヤーたちの実力は紛れもない本物だ。時代の潮流に合わせ配信業に力を入れている者達もいる。

 

ここまで考えてみて、「古き良き」ゲーム性を捨て間口を広げたストVの方向性は、たとえ古参格闘ゲーマーを切り捨てることになったとしても、結果的に正しかったように思えてくる。個人的にストVのゲーム性は好みではないけれども。

格ゲー発展のためにどんなゲームがあるべきなのか。答えはまだない。でも最近思うのだけれど、例えあるブランドやプロシーンに何かがあったとしても、格闘ゲームというフォーマットそのものが廃れることはそうそうないんじゃないかと思う。1対1で殴り合いメインで戦って相手の体力を奪い合うアクションゲームを「格闘ゲーム」と呼ぶのであれば。

現にスマブラも最近は格闘ゲームとして認知されてきているし、海外ではリーグ・オブ・レジェンド、国内ではグランブルーファンタジーなど他ジャンルの人気タイトルが格闘ゲームの発売を予定している。

何にせよあらゆる人にとって面白い格闘ゲームが生まれ続けることを祈ってやまない。